やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

親の心 子知らず


自分が子供の頃、親や先生やたくさんの大人たちから多くの事を教わり、
俺はそれを学び、可能な限り身につけてきた。
でも俺が学んだ事 と 大人たちが伝えようとしたこと は、
おそらく比較にならないほど大きさが違うだろう。

 
自分が大人になって、子供たちに伝えたいことがたくさんある事に気づく。
でも、この気持ちをどれだけ伝えることができるんだろう。
きっと俺が子供の頃に俺の周りにいた大人たちも、もっとたくさんの事を
伝えようとして、実際伝えたのかもしれないけど、バカガキな俺はその
大切さに気づけず、大切さを理解できず、大人になって傷ついてから
やっとで悟ることができたり。これは、仕方がないことなのかなあ。
 

人間は先人に学ぶ事ができる存在であるはずなのに。
誰もが同じ失敗、同じ挫折を経験しないと成長できない部分がある。
俺たち大人は子供が傷つかないように辛い想いをしないようにと
いつも心配してしまうけど。
本当は子供が傷つくのを見守ってあげないといけないんだよね。
子供の成長を見守るって本当に難しい。


たくさん教える事はあるはずだけど、一気に教えてもきっと理解できない。
適切なタイミングで必要な事を教えないといけないのも難しい。
もちろん誰もが適切に育てられるわけじゃないから、人の性格と精神は
いびつに育っていく。俺もだいぶいびつになった方だと思う。


30年近くも生きてると、ああ大人というのはたくさんの事を経験して
たくさんの事を知っているものなんだなあと思う。純粋な子供を見ると、
汚れた自分と比較して特にそう思う。生まれたばかりの大きな運命を
背負った赤ん坊の存在なぞ知らされるとさらにそう思う。
いや自分自身が経験豊富で何でも知っていると言いたいわけではなく。
年齢なりの人生は歩んだのかなと実感するということ。

 
子供の頃、周りにいた大人もたくさんの経験をしていて、たくさんの事を
知っていた、はず。でも子供はなかなかそこから学ぶことはできないし、
大人もなかなか伝えることはできないのかも。
その時の大人たちは、今も一部の人たちは俺がすぐ会える存在でいて。
時々、その経験と知識の片鱗を見せてくれる。苦労したんだろうに
そういうところは俺には見せない。大人たちは苦労を子供に見せないんだ。


きっと伝えることと学ぶことの関係はまだまだ終わっていなくて、
俺がこれから気づいたり理解する事も多いんだと思う。大人たちは
それを知っているけど、教える適切なタイミングを待っているんだろう。


まだまだ子供だ俺。
俺が親になれるんだろうか、ちょっと心配。
でも俺も教える立場になっていく。
できることなら、たくさんの子供により多くの事を伝えたい…。

 
2006年9月8日 04:52