やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

GTDは完成しない。

以前、GTDの完成を目指すと書いた。

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だが残念ながら上手くいかなかった。なぜか。それは初心を忘れているからだ

「なぜ」「どうして」「何のために」それをするのかという動機をGTDは忘れさせてくれる。そんなのいいから、忘れててもいいから、優先順位に従ってタスクを消化することを求められるのだ。少なくともタスクを作った時の俺は今の俺にそれを求めているのだ。しかしそれでは人は俺は動けないものだ。

俺にとっては行動にストーリーが必要なのだ。何気ないタスクにも気持ちが入っていないと動けないのだ。その行動の結果、得られる果実を見つめないと人はそれに向かって走り出せない。一つ一つの行動自体は決して楽しいものではないのだから。

なぜ俺はそれをするのか。それを忘れてただ書いてあるタスクだけをするというGTDは、ちょっとした奴隷気分にさせてくれる。俺の正常性バイアスは、それをしなくても大丈夫だと優しく俺を包んでくれる。時には「それをしないとヤバイ」という危機感からタスク消化に積極的になる時間もあるが、そんな感じが続く毎日が俺を幸せにしてくれるはずがない。

人によっては「これさえやっていればいいんだ」という安心感を持ってタスクを消化する事に集中していけるのだろうと思う。だからこそ、この手法は支持されている。でも、それじゃ俺はだめなんだよ。

俺にとってGTDは基本的にツラく、生産性を高めつつも生活の幸福感を落とす手法なのだと最近気づいた。気づくの遅い。遅い事はわかっているのだが、今日気づかないと更に遅くなるから、堂々と今日書いてしまおう。そう、俺のGTDは完成しない

優先順位をつけて順番にという方法自体はそんなに間違えていないと今でも思うのだけれども。その消化の軸になる価値観と方法を加えられないかと思うのだ。俺だって、全ての行動、全てのタスクに意味づけやストーリーが無いといけないなんて思っているわけじゃない。思っているわけじゃないのだが、現実的に大きな動因を絡ませなければ動けていないのだから、自分に合う何らかの工夫を入れなければやっていけない。

目標を見つめて忘れない、夢を見つめることの重要性が再び俺には求められているんだよ(何言ってんだろ俺)新しい手帳はどうしたものだろうかね…。