やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

メールの衰退

俺は電子メールが好きだ。

大学に入ってすぐの頃、高校時代の仲の良かった友人たちと手紙のやり取りをしていたのを思い出す。そのうち物足りなくなって、電話の加入権を買い、FAX機を買って、FAXでやりとりをするようになった。FAXだけのペンフレンドもいたような気もする。

半年くらい経つと電子メールを使うようになってきた。大学の情報処理の講義で使い方を教わったからだ。学生一人一人にメールアドレスまで設定された。これが面白かった。パソコンで画面上に打った文章が、相手もパソコンの画面上に表示されるのだ。当たり前のことだが、これはコミュニケーションに使えると強く感じたし、友人たちも感じたし、実際に使えた。使えまくった。電子メールだけのメール友達もできた。色んなやりとりをした。赤裸々だった。悩みとかも書いてた。

 

こういった経験が俺をメール好きにさせた。そのうち携帯電話でもメールできるようになった。文字数少ない。でも便利だ。すぐに受信できてすぐ返信できる。とても楽しんだ。

でも、どこかの時点から、メールは楽しめなくなる要素が増えていった。もちろん原因は迷惑メールだ。迷惑メールは電子メールの文化をぶっ壊したと思う。あふれる迷惑メール。コンピュータウイルスがくっついたメールが飛び交った。宣伝メールも受信ボックスを埋め尽くした。HTMLメールを開くだけでウイルスにかかるとかいうものも登場した。

 

携帯メールはもっと深刻だ。昔は通信データ量で課金される仕組みだった。パケット課金だ。そのパケットはおびただしい受信メールでカウントされていった。一時期、NTTドコモはパケット料のために迷惑メール対策をしていないんじゃないかと本気で疑ったこともあるくらいだった。それくらい何も対策していなかった。

実際、対策は難しかった。禁止する法律もできたが、機能しているようには見えない。今もだ。送信する者を規制するのは現実的ではなく、受信する方が防御するしかなくなった。本当に面白くなくなってきた。

 

そのうちメールより面白い交流の手段が出てきて、メールは使われなくなってきた。みんなmixiに夢中だ。何しろ一度日記書いたらマイミクがみんな読むんだから。ICQが出てきた。MSNメッセンジャーが出てきた。Yahooメッセンジャーが出てきた。Skypeが出てきた。メールの出番がみるみる減った。

交流の手段はどんどんモバイルシフトになって、スマートフォンメッセンジャーアプリを使う時代になってきた。WhatsAppは最初年間99セントだった。Viberがあって、カカオトークがあった。LINEが出てきた。LINEが普及した。LINEが。LINE。

SNSが発達した。mixiは廃れた。Facebookが流行った。Twitterが根づいた。

 

メールボックスは変わらず迷惑メールの山だ。メールサービスの提供側の技術で、多くの迷惑メールを弾くようになっているが。メールで交流を楽しむなんて面倒なこと誰もしない。メールを使うシーンはまだ多い。本人確認などで使われて、その後企業のメールマガジンを受信する連絡先としてだ。誰がメール友達を作ろうなんてしているだろう。そういう文化があったことすら知らない若い子たちばかりだ。

俺はメールでまた楽しめないか模索もしている。こないだSPIKEメールメッセンジャーっての試してみた。面白いコンセプトのメール活用法も今後出てくるといいなと思いつつ、今はまだメールは衰退したままだ。

メールは不便だ。技術は枯れてきている。俺はメールの受信ボックスって、昔は、実際の郵便受けみたいだなって思った。友達からの手紙が届くんだ。いつも、手紙来てるかなあってワクワクしながら確認をするもんだと。今、うちの郵便受けはポスティングチラシがたまっている。なるほどメールの受信ボックスは実際の郵便受けと一緒だ。

メールは不便だ。送った後、届いたかどうかわからない。実際の手紙と一緒だ。ある程度の技術への信頼で、届いただろうとみなしている。実際の手紙と省略。LINEだのメッセンジャーの既読システムはよいものだと思う。流行る理由でもあるし、メールが衰退する理由ではないが、復興しない理由の一つにはなっているだろう。

 

俺はメールが好きだった。でも楽しめなくなってきたのは迷惑メールのおかげ。世の中は馬鹿のせいで不便になる。名言だ。

残念だ。思い出補正で俺はまだメールを愛でている。