やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

俺は知ってる。皆は知らない。

当たり前の事なんだが、自分が知っている事を多くの他人は知らないし、他人が知っている事を俺はほとんど知らない。そう、それは当たり前だ。

人によって見てきたこと、聞いてきたこと、体験してきた事は全て違う。興味関心も全く違う。びっくりするくらい違う。歳をとれば取るほどそのズレは激しくなっていく。

だから自分にとっての当たり前は、他人にとっては全く知らない事だということを理解しないといけない。頭ではわかっているが、どうしても俺は、自分の理解は他人も知ってて当然だと思っている節があるようだ。

それは他人の人生や経験を軽視しているかのようだ。俺はもっと他人の知識を尊重しなければいけない。そして自分が話す時は「他人は何も知らないんだ」と考えて噛み砕いて話す事が大事なのだ。

付き合いの長い友人たちは何もかもわかっている場合が多くて、話が裏の意図までよく通じる。通じてるつもりで通じていない時もあるが、多くの興味関心事において共通するものが多く、話も気持ちも通じやすいのだ。だけど、それをその他の多くの人に求めちゃダメなんだ。

でも正直、新聞に載ったような事すら知らないのはどうかなーと思ったりするんだ。特にデジタル分野においては、俺は常識だと思ってたこと、普通に過ごしてきたら当然知識として知っているはずと思っていた事も、世間ではそうじゃない。みんな知らない。常識ではない。でも、皆が使ってるスマホの事とかだよ?

いや、俺も、たとえばファッション分野で「常識なんだけど知らないの?皆が着てる服の事とかだよ?」と言われても知らない事は知らないのだから、同じようなものかもしれない。やっぱり、興味関心や経験の違いなのだ。

経験や技能や知識を数値化してステータスにできないかなあ。可視化できたら面白いことができそうなのに。ただ、細分化されすぎるかもしれない。

デジタル一つとっても、例えば「パソコンに詳しい」にもだいぶ種類があって、人によって知識にはムラがあるのに。だいぶ分野も広いんだ。学問として整理されている分野はいいよ、たとえば生物とか考古学とかでも、だいたい専門分野は定められているじゃない。でもデジタルやファッションとかは、どうなんだろう。客観的な物差しで数値化できないかもしれないなー。

とにかく俺は他人には親切に話そうと思う。人を巻き込もうと考えてる時は特にね。