やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

淡白質 2

3月は別れの季節である。学生は卒業したり、進学や就職のために移動をしたりする。社会人だって異動があったり、転職もある。全く別れがない学校や会社というのも逆に気持ちが悪いものがあるくらいだ。


そんな3月であるが、我が社にも久々に?退職社員が出た。女性社員だ。地元に帰るらしい。その最終出勤日のことである。彼女が全社員の前で別れの挨拶をした時のこと、彼女は感極まって泣きだしたのだ。彼女と仲の良かった女性社員たちも泣き、それを見た他の女性社員たちももらい泣き。泣きながら抱き合って別れを惜しんでいた。俺はそれを「…なにやってんのこの人たち?」と思いつつ、ウンウンとしんみりしたフリをして見ていたのである。もちろん、そうやっている彼女のたちの内心もわからないのだが。

 

俺は常々氷河期世代であることを強調していて、自分は氷河期世代のモデルケースだとうそぶいているわけだが。もちろん転職を何度も何度も繰り返しているのだ。たいがいは労働環境が劣悪な、いわゆるブラック企業で、在職中に退職していった同僚は数知れないものであったし、自分自身も何度も退職して会社を去っている。

 

人生には別れはつきものなのだ。我が社の女性社員の中に、俺より別れを多く経験している者は、少なくとも経歴を知る限りでは、いるはずは無い。俺のそばを何人の人たちが通っていったのか、俺は何人の人たちの間を通ってきたのか、もうわからないくらいだ。俺にとって、既に別れはそんなに悲しむものではなくなっている。

 

退職する女性のことが嫌いだったわけではない。むしろ信頼していたし、いなくなるのは心情的にも寂しいと思ってはいる。でも、そんな気持ちは今までもたくさんしてきたし、泣くほどの事ではない。俺は淡白質なのだ。人間関係にあまり期待はしていないし、昔は確か敏感だった心も割と麻痺気味になっていて、諸行無常の中に残念という気持ちもさらりとこぼれていっているようだ。

 

自分と、自分の周りの人たちと、退職する彼女を取り巻く人間関係の形が変わるだけなのである。寂しいことも悲しいことも無い。もう今までのようには会えない、語れない、今までの関係が無くなるというのは確かにそれが心地よいものであった場合は勿体無いし、続けられないのは残念なことであろうが、新しい関係もこれから押し寄せてくるのである。人が手の届く範囲で築ける人間関係には限りがあるし、その中でもがくしか無いので、何でもかんでも塩漬けに保存しておくことは考えないほうがいいのだろう。

 

たぶん、ボーッとして無関心なそぶりをしていると、それを見た社員たちからはあれこれ誤解をされたと思う。いや、誤解ではないのだが、一応、寂しい顔はしていたから大丈夫だろうと思う。

だいたい、去られる側はその人がいたところがポッカリと抜けるけど、去る側は新しい環境の中に飛び込んでいくわけで、新しい世界、新しい人たち、新しい環境が待っている。本人にとって寂しいことなんて本当に全くないのだ。希望を持って去って欲しいと、応援する気持ちで送り出した。彼女なら大丈夫だろう。

 

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