やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

傘の教え

大学生の頃、登校しようと歩いていた。一応講義にはちゃんと出ていた方だと思うのだが、その日はたぶん2限からだったのか、朝早い時間では無かったと思う。そこは緩やかな下り坂で、長い一直線の見通しのいい道路だった。近隣に同じ大学の学生もたくさん住んでいたので、通りには同じように登校する学生がたくさんいて、皆、同じ方向に歩いていた。

天気は曇りで、雨が降りそうだったので俺は傘を手に持っていた。周囲の学生たちも持っていた。覚えていないが、天気予報では雨の予報だったのかもしれない。

歩いている途中で、弱い雨が少し落ちてきていた。でも傘をさしてもささなくてもどうでもいいような、濡れるほどでもないようなわずかな雨だった。 どうしようかな、傘をさそうかな。前を歩く学生は誰もさしてない。後ろを見ると、後ろも誰もさしてない。俺は思った。「まあいいか、俺がさしたいから傘をさそう」傘を広げて歩いた。

それから歩いて数分後、ふと後ろを見たら、後ろを歩く学生たちが皆、傘をさしていた。前を見ると、俺の前を歩く学生は誰一人、傘を広げてはいない。また後ろを見ると、緩やかな下り坂であるので、ずいぶん後ろの人までよく見えた。傘の行列である。雨は強くなっていない。ああ、皆、俺が傘をさしたのを見て傘をさしたんだなと確信した。

傘をさすかどうするかなんて、どうでもいい事だ。雨が降ってるとか気づかなかったけど誰かがさしてるから目安になった、自分も傘を広げた、それだけの事だろうとは思う。だがその時の俺は「他人はさておき自分の判断で自分の行動をちゃんと決める」ことの自由さと「人は他人に簡単に流されるものなんだ」ということを学んだのだった。