やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

病院嫌い

健康の為には、体の調子が悪い時には病院に行って受診する。これ、当たり前。誰だってそーする、俺だってそーする。でもそれは「それが最善手」と思うから、それが合理的と考えるから、病院に我慢して行っているだけで、実は病院に行くのは嫌いだ。世の中には病院嫌いの男性が多いと聞いた事があるような気がする。本当かどうかはわからないし、他人の考えはどうでもいい。俺は病院が嫌いなのだ。

小学校の時、ある行きつけのクリニックに行っていた。当時の俺は喘息の発作を頻繁に起こしていた。頻繁と言っても年に2〜3回だったが。その度にクリニックに連れて行かれていた。今思うと、病院より寝具に掃除機をかける方が効果的だったんだろうが、そんな知識は当時の我が家には無かった。

ある時、久しぶりに苦しい状態で病院に行った時に、お医者様が母に言った言葉が今も忘れられないんだ。
「この子は、大した事ありませんよ」
もちろん文脈的に「この子(の症状)は、大した事ありませんよ(、だから安心してください)」という意味なのはその時にちゃんと理解していた。その発言の主旨は子供の俺にもちゃんと伝わっていた。だけどその時、俺はその言葉にとても傷ついた。

まず第一に、その時、俺は苦しかった。苦しいということを理解して欲しかった。確かに苦しかったのに「大したことない」という言葉で、それを否定されたのが辛かった。その苦しさは認めて欲しかった。
第二に、「大した事無い症状なのにわざわざ病院に来た自分」がたまらなく恥ずかしくなったのだ。「大した事ない」のに受診した事をとがめられたようにも感じたし「大した事ない」のにわざわざ医者や病院の手を煩わせた、世界に無駄を発生させたのが恥ずかしかった。自分の失態だと捉えてしまった。

ほんとにそのたった一言で、俺は病院に行きたがらなくなった。

しかし、いつまでもそういうわけには行かない。大学生になって2年目か3年目かに喘息の発作が出た。その頃は発作が出るのも数年に一度になっていたので久しぶりだったが、当時は一人暮らしをしていたので、大学病院まで行って受診したのを覚えている。あの時の発作はとても苦しかったので、病院に行くまでが大変だった。バスを乗り継いだ。ちなみに俺は吸入をその時までした事が無かった。子供の時は粉薬だけだったので、その時、初めて吸入をした。やり方もわかんないしそんな治療があるのも知らなかった。もう成人してたよ?

それから、無理をせず病院に行く重要性は理解した。理解はしたが、実際に行くかどうかは別だった。結婚をしてからは、もう喘息はほとんど出なくなっていたが、体調を崩したら、有無を言わさず受診させられるようになったので健康度は上がった気がする。

だがしかし(このブログ「だが」とか「しかし」とか「でも」とか多いな)、病院に何度も行って気づいた事がある。

・若い男性
・体が大きい
・喋りが多少達者で愛想がいい

これらの要素を持つ人物は、つまり俺の事だが、病院ではぞんざいな扱いを受ける。これは間違いない。なぜなら健康そうに見えるからだ。お年寄りになればなるほど、病気も怪我も危険性が増す、当たり前だろう。そんな所に若い男性で体が大きい、俺のような患者が現れても、おそらく優先順位は低い。被害妄想だろうが(※全然自分では被害妄想だなんて思っていないが一応そう書いておく)、受診しても、診察態度も油断しているし、あまり真剣に考えてくれてないの丸わかりである。実際、確率的に、可能性的に、重病であるとか回復が遅いとか、そういう事は無いというのはお医者様の経験的にもわかっているんだろうし、俺自身もそんなに深刻だろうなんて思っているわけではない。だが、そういう問題じゃないんだ。自分苦しんでいる気持ちを適当に扱われて大切にされないのがとても辛いんだ。
増して俺の喋り口である。俺は愛想が良くて快活そうに見えるのだ。見えるだけだ。だが無理して明るくすると、適当な扱いを受けるのが病院というところだ。コミュニケーションで相手を良い気分にしたり、良い関係を築くところでは無いんだ。

妻はよく言うんだ、自分が望む治療をちゃんと受けたいなら、病院でもアピール力が必要なんだって。「大丈夫です」とか「なんとかなります」とか言っちゃいけないって。誰も「あなたは口では大丈夫って言うけど本当は辛いんでしょう、わかってますよ可哀想に、ちゃんと治療しましょうね」なんて言ってはくれない。患者が言う情報を信じるしかない部分もあるんだ。

というわけで、立派な病院嫌いの出来上がりだ。この気持ちがわかってくれるなんて思ってないが、少なくとも女性やお年寄りには否定されたくないね。