やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

35年(母への想い編)

しばらく実家には行かない事にした。(実家ではないし実家は無いのだが、まあ母や外祖母がいるところを便宜上、実家と呼ぶ事にする)しばらくというか、もう行かないと思う。というか、実家とは縁を切ろうかと思っている。今日は、なかなか知り合いが読む可能性のあるところには書ききれない話。

子として、親には親孝行したいと思う気持ちは勿論ある。親の恩は尊いもので、それは忘れる事は無いだろう。特に10歳までは俺は健全な家庭ですくすくと、のびのびと育ったと思っている。生まれてからの10年間があったから、その後の35年も生きてこれたと思っている。この輝く10年間に俺は感謝している。母からの愛情も強く感じていたし、決して忘れてはいない。

恩は恩として、それでいい。

俺は受けた恩を忘れない一方で、受けた仕打ちについては今まで目を逸らしてきた。
俺はあまり母から自分の気持ちを尊重してもらったことは無いと思う。俺が10歳の頃から、違和感はあった。母はその頃から、おかしくなってしまったのだ。その頃、家族に大きな変化があり、母は狂った。兄も狂った。俺も狂った。その年は家族の人生の大きな転換点だったのだろう。家族には余裕が無かった。母にも余裕は無かった。そんな中、俺は「育てられた」のではなく「養われた」状態で育った。要は放任主義である。その後の母にとって俺は血の通った人間ではなく、母の人生の「舞台装置」の一つであり、自分が何かしらの行動を起こすイベントの一部と成り下がった。35年が経った今になってもそれには変わりがない。

それからの俺の「選択」は、とりあえず全てケチをつけられた。買い物をすれば文句を言われ、選んだものは馬鹿にされる。大学も貶された。就職も祝福はしてくれなかったし、数々の転職も、尊重も応援もすることはなかった。息子の選択を自分が「誇らしい」と思えないと納得しなかったのだ。俺の気持ちや考えや事情はそこには入る余地は無いし、おそらく存在を認識されていなかっただろう。唯一ケチをつけられなかったのは高校の選択だが、これは兄と同じ高校だったからだ(と、俺は思っている)。

要らないと言っても食べさせられる話を以前書いた。
おなかいっぱいはもうおなかいっぱい - やじろぐ7

この狂った行動は今日に至るまで続いている。どれほど説得しても怒っても改まる様子は無い。その一連の行動の中に俺という相手はいないのだから当然だ。「自分が」「それをする」ことは「決まっている」のだ。ロボットのように、何の工夫も無く、決まったトリガーで決まった動作をする、そうなっているのだ。俺の反応がどうだなんて関係がない。俺という存在はただのトリガーでしかなく、俺が現れたら、それは「俺」が現れたのではなく「イベント」が現れたということなのだ。

随分前だが、唐突にビデオ通話をかけてくる親(この時は親とは書かなかったが)について述べた事があった。
Skypeでイラッ - やじろぐ7

SkypeがLINEに変わっただけで、いまだにかけてくる。この記事書いたの11年前だぜ。11年間ほとんど電話に出てないわけだが、それでもかけてくる。昨日も拒否した。俺はそれを嫌がっていて、そしてその意思表示をしている、しかも自分が考えうる最適な伝え方で意思表示をし続けてきたつもりだ。しかし11年も直らないのは、考えられる理由は2つしかない。

1.俺が嫌がってると伝えたのがそれでも伝わってないか、
2.俺の気持ちはそもそも関係ないか。

後者と言いたいところだが、両方というのが正解だろう。
俺が何か言っていても関係ないのだ。そもそも俺という舞台装置が、背景が、何かを言うなんてことは許されないのだ。自分がやりたいからやっている、母の世界には、少なくとも俺に対しては、それしか無い。

実家にとって俺は常におまけの存在だった。兄のおまけ、家族のおまけ。親戚の中でも一番下のおまけ。家で一番存在が強いのは父で、次に存在が重いのは兄で。俺はおまけだった。末っ子というのはそういうものかもしれない。たった2人の兄弟だが俺は身に染みるほどそれを体感していた。

僕は末っ子でして。親戚が集まっても、(少なくとも男の中では)一番下なんです。

兄弟姉妹のイメージというのは怖いものです。 信じられますか。10代の頃の兄の方が、30代になった弟より頼りにされたりするんです。

逆に兄はそれが嫌だったかもしれないが、俺が知る由は無い。とにかく俺の存在は軽い。今でも俺の意見は誰も尊重しない、聞かない、通らない。俺の意見で何かが変わったものは一つもない。たぶん今後親の病気だとか財産だとか家がとか色んな問題が出てくるんだろうが、俺の意向は誰からも求められてないし、俺の意見が通る事は今後も無いだろう。俺の言葉は、道化になるくらいしか価値は無いのだ。

おまけというものは、無くなっても「少し寂しいけど、大した影響は無い」くらいのものだ。実家とは縁を切ろうかと思っている。35年もよく耐えた。俺の精神も、もう限界だ。先日は妻が顔を出そうとうるさかったから久しぶりに顔を出したが、吐き気がしたので逃げ出してきた。何しに行ったのか自分でも本気でわからない。あれが最後の別れだったかもしれないし、それで良いと心から思う。俺も生きなければいけないのだ。このままでは母に殺されてしまう。

今後何かあったら兄に連絡しようと思ってる。それか伯父、伯母、従兄弟などの親戚親類に必要な事は伝えたい。