やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

人と話したい。だが、人と話したくない。

人と話すのは好きだけど、好きなはずなんだけど、最近は心のストレスから人と話したくない。でも楽しい時もある。どういうのが好きでどういうのが嫌いなのか自分でも振り返ってみたい。

人生の岐路

何年か前のこと。人生の岐路があった。人生は選択の連続だけど、その時も、選択だった。それはその後の仕事を決める選択だった。

二択の方向性を大雑把に書くと
「コツコツと技術を磨いていく仕事」か、
それとも
「コミュニケーションにまみれて戦う仕事」か、
そのどちらかだった。

俺は後者を選んだ。自分が選んだ選択なので言い訳はしないし、別に後悔もしていない。でも、言いたくなる時もある。
「もう人と話すの嫌だ」

冒頭で書いたが、元々、人と話すことは好きだった。自分が喋ることも好きだし、人の話を聞くのも好きだった。そう思っていた。でも今、この歳になって思うんだ。俺は本当に人と話すのが好きなのか。

自分が喋るのは本当に好きなのか

違うのではないのか。喋るのが好きなんじゃなくて聞いてもらうのが好きなんじゃないだろうか。自分の好きなように好きなだけ話せる人っているけど、俺はそういうタイプじゃない。相手が聞きやすいように相手に聞いてもらえるように話すんだ。それは、残念だが話し方が上手ということとイコールじゃない。
喋ることに情熱があるわけじゃないんだ。聞き手がいないと何も作れない。聞き手の反応が悪いと話せなくなると言っていい(みんなそう?)

人の話を聞くのは本当に好きなのか

確かに嫌いじゃないんだが、人の話を聞くのは自分の好奇心が刺激されるのが好きだったのかもしれない。もちろん、誰もがそうであるように年齢を重ねるにつれて普通の刺激には慣れて、俺の好奇心は刺激を求めるようになっていく。コミュニケーションにはパターンがあるし、把握してくると、もう好奇心は働かない。途中で結論がわかってしまう事も多くなって。なんなら相手が話す前に内容がわかる時もある。そんな中で、俺は最後まで熱心に興味をもって前のめりに人の話を聞かなくなってきていると思う。

結局、人と話すのは好きなのか

会話してて相手が気持ちよくなるの好きよ。そういう時の会話は相手と築く芸術のように感じる。楽しくて楽しくてたまらない、そういう感覚は忘れてない。でも「相手を気持ちよくさせるのが好き」なのか「相手の機嫌が良ければ自分の不安が解消されるのが好き」なのかは、ちょっと自分でもはっきりしない。曖昧だ。

最近、人と話したくないワケ

瞬発力と持久力の衰え。これが大きい。話す前や、話す間にも常に次の展開をイメトレしながら話しているが、それが疲れて面倒くさくなる。そして意外な展開になった時に咄嗟にアドリブできなくて怖い。前々からアドリブは苦手だ。そう、つまり、面白くないというのが4割、不安というのが4割、面倒くさいが3割。合わせて110%人と話したくないというわけだ。

繰り返される同じ話

熱心に人の話を聞く方だ。今でも人の話を聞くのはやっぱり好きだ。でも世界は繰り返しが多すぎる。ネット見てても同じ話題が数年おきに繰り返されてるような錯覚に陥る。なんだろう俺は刺激が欲しい。人と話をしたい。