やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

この世は誰のもの?

世の中は自分の望むようにならないことばかりだ。それはその通りだろう。俺はこの世界の王ではないし、この世界に王はいない。王がいたとしても自分の望むままにはならないと思うのだが、ともかく、王のいない以上、この世界は誰のものでもない。だが「世界」の認識を小さくする事で一時的に望むようにすることはできるだろう。小さく認識した世界、とっても小さくして、例えば俺の内面世界は俺のものだ。

民主主義国家である日本において、政治家は選挙で決定される。つまり、日本のこの世は有権者のものだ。だが有権者は1人ではない。この世は、選挙に勝利した候補者の支持者のものだと言う事ができるかもしれない。選挙に勝利した候補者の支持者とは「多数派」のことだ。

そうだ。この世は多数派のものだ

じゃあ多数派というのは誰の事なんだろう。その時々の風潮や民意はもちろん、どんどん変わっていくものなのだから、多数派が常に誰だと言うことはできない。それはとても流動的なもののはずだ。はずなのだ、普通は。しかし今の日本において「多数派」と言えば、ある世代の事が思いつくかもしれない。その多数派の中にも多様性はもちろんあるが、下の世代から見ると一定の傾向と方向性を感じるようだ。

日本(結構大きい)は誰のものか、氷河期世代のものではないのかな、と、世代ストライクの俺は思っている。悲しい事で、選挙に行こうと呼びかけたいのが今日の記事の主旨だったのだが、まだ俺の声は小さ過ぎて誰にも届かないようだ。まことに世の中は自分の望むようにならないことばかりだ。