やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

マメになることで世界が変わる

マメになりたい

年始に限らず何かの区切りがあるたびに思っていることがあるが、俺はもっとマメな人間になりたい。何年も、いや何十年もそう願っている。

しかしそれができていないのはマメである手間暇とそれに対するリターンをいつも天秤にかけているからではないだろうか。そしてマメじゃなくても大したデメリットがなかったんだろうと思う。

マメの効果

マメであることの効果は絶大だ。あらゆる憂いを減らし、安心をもたらす。人の心を癒し、人間関係に潤滑を与える。人に好かれて、信頼を得られる。得ることは多く、失う事はほとんど無い(あるとしたら、多少の労力と時間だけだ)。マメはいい事だらけだ。

頭ではそれはわかっている。理想だとも思っているし憧れている。でも実際にマメになるという「作業」は地味で地道なもので、俺はその時に初心を忘れているのだろう。その「作業」が楽しい人はマメでいられる。俺は楽しくない。というか楽しい以前に、人と話すのが苦痛だ。

病んでる?

こんな事書くとまーた「病んでる」とか言われそうだが、実際に俺は何か傷ついた事があって、いつからか人に話しかけるのが苦痛になっているのではないか。そういえば学生時代とか20代半ばくらいまでは結構マメだったような気がする。

何がきっかけか、何かがあって俺はマメじゃなくなったんだ。無邪気に人に話しかける事ができなくなったんだ。これは一体何なんだろう。

やるしかない

そうは言っても、いつも現状を打破するのはマメの力しか無いと思っている。毎年毎区切り毎に「マメになりたい」と願っているくらいだ。わかっているんだ。

ならばそれを阻害する要因を除外する事を考える必要がある。たぶん失敗した事に対するトラウマと、何でも腐す人たちの目、何でも批判する政敵の声、どうせそんなもんだろう。

マメはやめられない

今の俺がすぐにマメになれるかというと、すぐには無理だ。楽しくないんだもの。億劫だし、恐怖ですらある。でも信じるしかない。初心を忘れないように何か工夫をしなければいけない。
正直、その効果は遅効性かつ地味すぎてすぐに達成感を得られるものではない。それもマメになりきれない要因かもしれない。繰り返すが信じるしかない。うう、つらいなあ。