やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

自分のことを観察されて言及されるのは嫌

いつしか退職した、とある同僚の年配女性が、人のことをよく気がつく人だった。いや「よく言えば」気がつく人だったと言えばいいのかもしれない。

悪く言うなら?「他人をジロジロ観察している人」だろうか。年配女性は俺に「今日はこうこうなんですね」とか「お子さんは今度卒業だったんじゃないですか」とか「いつぞやのあの件はどうだったんですか」などと、俺自身の事を話題に挙げた。

それ自体は悪いことじゃない。大抵の人は自分の事を語るのは大好きだ。

自分のことを誰かにちゃんと知ってもらいたい気持ちは強いけど、でも、少なくとも年配女性さんの事はそういう相手とは思っていなかったんだろう。俺はあまり自分の話を振られても、話に乗らなかった。

人が、その人自身の事をたくさん話してくれても、俺は頑なに自分を話題にしない。人が話したら自分も話したくなる心の働きを知っているから俺は注意している。

俺は自分のことを話題にされるのが実は好きじゃない。特に俺だけの感覚でもないと思うが、あまり善意を感じないのだ。俺のことを好意的に話しているのか、俺には判断がつかない。だから俺は自分についてのことは、それが例え誇らしい事であっても、あまり言わない。たまに自分のことを話すのは打算的な思惑があることがほとんどだ。聞いて欲しいなんて思ってない。

人のことをあまり信用してないのか、好きになれてないのか、人懐っこい方じゃないのは確かだ。高校の頃にはもう俺は自分自身の事はあまり語らなかった。家庭のことや家業?の事も友人たちには一才喋らないままだった。相手に相手自身の事を喋らせていれば会話が途切れない事にも気づいていたから、俺は人の話だけ聞いていた。

自分自身のことに価値を感じてないわけじゃない。でもその価値をどうせ共有できない相手と思うと秘密主義になるのかもしれない。なんか寂しいね、こうして書くと。