やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

体罰

教師が小学生児童を指導のためゲンコツした話題が出ていた。ひじょーに難しい問題だけど、普通に考えたら暴力は良くない。俺も中学の頃は結構やられたけど、どうなんだろうね?必要だったかどうかわかんない。「体罰の必要がある」と先生に思わせるようなワルじゃなかったはずだけど。言葉で注意されただけでも、たぶん言うこと聞いたよ、俺はね。

でも強い口調で怒られたら「嫌だなあ、嫌な思いしたくないから、ちゃんとしよう」って思うけど、優しく言われてペナルティ感が無かったら、自分を律しようと反省しないかもしれない。そこが人により状況により関係性により違うから何とも言えない。

体罰が必要とは言わないけど「自分の行動がこのままじゃヤバイんだ、改めないといけないんだ」と理解させることは必要で、その手段として体罰が効果的だったんだろう。

俺の小学時代、高校時代は体罰受けたことないと思う。高校時代に一度正座させられたくらいかな。中学時代はグリグリされた、平手打ちされた、ゲンコツされた、など何度かされてる。でも暴力そのものへの嫌悪感は無かったし、恨みに思う事も無かったな。たぶん「自分が悪いからこれくらいはしゃーない」って納得があったんだ。そう、納得感って大事だったんだよね。それに、別にめちゃくちゃ痛いわけでもなかったし、理不尽とも感じなかった。むしろゲンコツされたのも学友との楽しい話題の種になってたよ。

でも身体的にも心理的にも感度は人それぞれだし、暴力で傷つく人だっている。俺は大丈夫だけど誰それは駄目なんて、そこにいちいち線引きを設定することは現実的じゃない。だったら一律体罰は良くないってするのが一番いい。つーか普通に暴力は良くない(二度目)まして教師という立場が上の存在が、児童生徒に強権的に暴力を振るうというのは形式上も許されないね。

しかし教師は児童生徒の将来を考える立場、その子のために絶対に理解して欲しいと熱望する事もある。そのために体罰以外に方法が無かった(ってことはないだろうが、思いつかなかった)という思いはあるのかも。全然言うこと聞かずに、そこで教えておかないと危ういって子もいるだろうしなあ。

教師と児童生徒との関係性も大事かな。仲良く、信頼し合ってればいいってわけじゃなくて、教師が嫌われている場合でも、前述のような納得感があれば問題にならないと思うし。(「理不尽な暴力ではないんだ」と児童生徒が納得するという意味ではその点には信頼もあるってことかな)

とっても難しいこの問題。答えはもう少し経って、大がかりな調査をしないとわからないかもしれない。体罰受けなくてもちゃんといい大人に育つ人が圧倒的多数だろうから、結局体罰は必要ないって話になるんだろうけどね。そもそもいい大人になる人は元々体罰を受ける機会も無いし(ずっと昔は理不尽に殴られる事もあったみたいだけど)。

気をつけるべきは、体罰撲滅が当然のこの時代にそれでも体罰が出てくる事を教師個人の資質の問題に終始しないことだね。子供は一律みんな同じじゃない。何が問題で何故それが起こったのか、それはその子に必要だったのか、その影響でその子はどう変わったか、その後の育ちに影響を及ぼしたか、その結果に興味ある。もちろん、そこまで調べきる事は無いだろうけど。

教育にも理想があるだろうし、それはだいたい愛情と信頼に基づいたもので、体罰による指導という要素はそこには無いはず。体罰全盛の時代にあっても、元々無いはず。だったらちゃんと理想を追い求めるのが正しい姿だよね。だから「本当の影響については調査をするでもなく置いておいて、」体罰は撲滅するべきでしょう…。つーか普通に暴力は良くない(三度目)