やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

クロスオーバー

小学校を卒業した俺は、地元の中学に進学した。俺の小学校の卒業生は、地区別に二つの中学校に分かれて進学する。といっても多数派と少数派に分かれる。100人と20人とかそんな感じの。言い過ぎかな、90人と30人かな。そして俺は、少数派だった。兄も少数派中学校に行ってたし、なんの疑問も持ってなかった。「新しい友達がたくさんできるな」と思いながら中学校に入って、3年して、卒業した。

中学校を卒業した俺は、隣町の高校に進学した。そこが最寄りだったし、兄もその高校を卒業してたし、あまり選択肢は無かったし、普通にそこに行った感じだ。俺の中学校からも結構な人数がそこに進学していた。だいたい高校は所在地に近い中学校からたくさん来るものだろう。離れれば離れるほど少なくなるものだ。すくなくとも公立高校はそんなもんだろうと俺は思っている。

そうして高校生活が始まったが、当然、小学校時代の友人も少なからず同じ高校にいるわけだ。たまに会ってた奴もいれば、久しぶりの奴、小学校卒業以来に再会する奴もいる。彼らは俺の中で、小学校時代の思い出がある小学校時代の友人だ。

考えれば当たり前なのだが、中学校時代の友人と小学校時代の友人が同じクラスにいて、喋ったりしている状況がある。当たり前なんだ、当たり前。でも俺はその時「世界が交わった」と思った。そう感じた。

人は自分の世界をたくさん持っているんだ。小学校時代の世界、中学校時代の世界、家や親戚での世界、部活の世界とか、習い事の世界とかもあるかもしれない。そうして、その世界それぞれ用の自分がいる。世界を構成するのは、人だろう。

違う世界の人同士、自分の中では交わっていなかった友人たちが交わっている。仲良くなって、いつもつるむ親友になった奴らもいる。俺はその時までそれぞれの世界とその住人たちについてとてもよく注目して観察してよく知っていたものだから、本当に不思議な気分になったものだった。

そうして交わった世界が当たり前になったら、それはそれでまた自分の中のあたらしい世界が生まれているということなんだろう。このクロスオーバーは今でもたまに起こるけど、今でも面白いと思う。

今年になってからもあった。学生時代の友人と食事をした時に、全然違う方面の知人が同じ店にたまたまいて、友人とその知人は、俺の知らないところで知り合いで、親しげに挨拶して話し始めたのだ。「あれ、知り合いだったの」「どういう知り合いだったの」みたいな言葉が全員の間で飛び交う。ほんと面白い、人と人って繋がってて、どこかに縁がある。

これを意図的に起こしてみるのも面白いかもしれないと考えている。人を紹介する、一緒に行動してみると何か面白い事が起こりそうだ。それには動員をする力をもっと伸ばさないといけないね。